国内家電
家電業界はもう成熟し切っていて、うちがやっていくためには海外の需要を取りに行くしかない
そんなことを耳タコなほど聞いてきた.
(ちなみに私の部門は国内向け。悪あがきのような形で試行錯誤している現状)
https://logmi.jp/business/articles/321349
しかし、今朝この記事を読んでいてハッとした.
結論から言うと
役に立つかという利便性を追求するのではなくて、ニッチな層にウケるような、自分がこだわりを持ち心から売りたいと思えるような商品は今の時代でも家電はグローバル規模で売れるということだった.
生活していく上で役に立つものは、No1しか残らなくなるけど
(顧客それぞれにとって)意味のあるものは多様化して残るというのはその通りだと思う.
今の家電業界は、どこの会社が作っていても基本的な機能が同じで、見た目も似通ったものが多く、役に立つ機能以外に家に置きたいという意味を見いだせないから
値段と性能のバランスが良いものが無難に売れるだけ.
自分の中でのモヤモヤが少し言語化された気がする. やっぱり社内の人の言うことを聞くだけじゃダメだな. いやまだ研修しかしてないんだけれど.
コンビニの陳列とかから、ここまで分析できるブログ筆者の方を尊敬するし
私もそうやって、ありきたりな日常からヒントを得られる人になりたい.
そのためには大量のインプットがまず前提として必要なんだろうな..頑張ろう.
気が合う人合わない人
人には、気が合う人や合わない人がいて当然、というのは共通認識としてあると思うのだけれど
そんな気が合わない人、もっと言えば今まで生きてきたバックグラウンドとかがあまりに違うからって、なんとなく合わないなと思ってしまう人達とチームプレーすることについて書こうかなと思う.
そもそも気が合うってどんな状態かというと
ある事象に対する価値観が一致する状態
(そして一致する頻度が高い)
この一言に尽きる気がする.
価値観が一致するからこそ
・話していると楽しいと感じる
・もっと一緒にいたいと思える
みたいなことにも繋がっていくのかなと.
私と同じ配属部門になった同期達は、正直「真の陽キャ」が多いので、最初は居心地が良くなくて、気が合わないなーとしんどい気持ちになっていた.
でも、なぜか最近、同期と一緒にいてそんなにしんどくないのである.(飲み会が多いのはしんどいけど)
なんでだろうと考えていくと
どうやら、同期達と同じ時間を過ごし、グループワークをいくつもこなしていくうちに
彼ら彼女らと自分との間で一致する価値観が見えてきて、同期達に対する評価が変わってきているからなのではないかという結論に至った.
もちろん、価値観が完全一致することはないのだけれど「この人達は私と合わない」と思って相手を切り捨てる形で関わるのではなくて
相手と自分との共通点を見つけていこう、なんなら増やしていこうくらいの心意気で生きていくと、一緒にいる時の楽しさが変わってきた.
つまり
食わず嫌いせずに
色んな人と自分の共通点探しをしたら(共通点がないように思えるなら一緒にいる時間を増やし共通の価値観を作れるようにしたら)
原則どんな人とでも仲良くやっていけそうだな
ということでした.
そして仲良くなれたら、必然的にチームワークも良くなるよねっていう.
逆説的かもしれないけど、気が合わなくてもチームワークたくさんこなすと、相手を理解してきてチーム力が上がるなんてことが割とありそうだなと思った.
わかんないけどね.
とにかく、陽キャな同期とはだんだん仲良くなってきたよ.
今日は華金、楽しむぞ.
信頼
この前の研修でこんな話があった.
仕事というのは、簡単に方程式で表すと
人格 × スキル = 成果
であり、どれだけスキルを磨いても人格がダメダメならそれは仕事の成果には繋がらない
という話だ.
この、人格というのは
一言で言ってしまえば、信頼される人かどうか、ということ.
さらに信頼される人には主に5つの要素があるらしい.
1 礼儀をわきまえている
2 思いやりがある
3 相手を信頼している
4 (不正することなく)正しいことを行っている
5 物事の善し悪しを判断する知恵がある
この5つだ.
3 相手を信頼している については、心の中で思っているだけではなく、態度や言葉に示して相手に伝えなきゃいけないし
5 物事の善し悪しを判断する知恵 に関しては、結局仕事のスキルを上げていく上で備わっていくものが大きい気もするが、仕事で関わるスキルに留まらずもっと広い範囲での知恵、ということなんだろう.
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
私の同期で演劇をずっとやってきた人がいるのだが、彼は人前で発表したりグループワークで発言したりする際に
「頼れそうな人感」「優秀そうな人感」を出すのがとてもうまい (彼の場合本当に頼れるし優秀なのだが、その実力以上にそう見える)
彼にその秘訣を聞いてみたところ
元々の体格(彼はとても背が高く手足が長い)による印象もあるけれど、目線や声色、手の動かし方、体の向きでも人に与える印象がだいぶ違い、彼はそれを普段から意識している
と爽やかに言っていた.
色んなキャラクターの人格を演じることが出来る演劇好きは説得力が違う. すごい.
なので、私は最初に述べた5つの要素に加え
信頼される人になるためには
6 頼りがいがありそうな堂々とした立ち振る舞い
も大切なのだなと思った.
うーん
最近の研修はフィールドワーク的なものやグループワークが多く、比較的楽しい日々を送れていた.
同業他社のモノと自社のモノを比べてみたり、自社の最新の施設に行ってみたり.
で、1番思ったことは
自分の部署って全然ダメダメなんじゃないか?てことだった.
私はマーケティングとよばれることをこれからやっていく部門にいる.
ここでは、どんな需要があって、どんなプロモーションしたらいいかを考えて
「お客さんが心から欲しいと思う」製品に仕立てあげるのが主な仕事である.
モノが飽和してきて節約志向が強いこのご時世、高機能や使いやすさをアピールしてもそんなに心に響かない気がするのだが
"今まで通り"無難なプロモーションや新商品提案
"お得意様の量販店と飲みニケーションしてオススメ書いてもらう"
なんてことを続けていてはまじでうちの会社潰れるんじゃない?なんて思ってしまった.
モノではなくサービスによる提案、なんてのもどこの会社もやり始めてるし. 全てが1歩遅い感がある.
最新の施設は確かにすっごいけど
果たしてその凄さや魅力をお客さんに伝えられるのだろうか...
でも今の私には解決策や具体的にどうすればいいか、というアイデアまで思いつくスキルはない. 漠然とモヤモヤで埋め尽くされている状態である. もやもやもやもや
例年に比べて
今年のマーケティング部門の新卒は賢くてコミュ力高い人が露骨に集められてる気がするし、実際褒められることが多いので
会社もきっとうちの部門に対して危機感があって、新卒に期待していることはひしひしと感じる.
本当に今はなんも出来ないただの出来損ないだけれど、自分にできる限り精一杯がんばろう.
目標
最近、悲しい出来事があった.
将来有望な、まだまだ素晴らしい未来が待っているはずの若者が
私が学生の頃から、影ながら応援していた大学生の男の子が、また白血病を再発してしまったようなのである.
http://yoshinashigoto.hatenablog.jp/entry/2019/06/03/212120
なぜ彼が何度も何度も苦しい思いをしないといけないのか…
・・・・
白血病かもしれないと言われ、幼心に死を覚悟していた4歳の私.
結局違う病気であることが分かって退院し外で生活する喜びを噛み締めていた5歳頃の私.
その後も入退院を繰り返し、院内学級にもお世話になったが、私は今25歳になろうとしている.
私は何故生かされているのだろうか
とふと考えてしまう時がある.
私に出来ることってなんだろう.
とりあえず、最終的な目標としては
入院生活で苦しむ人達や障がい児を支える保護者の方々の生活が少しでも幸せになる商品やサービスを考えたいと願う.
なるべく多くの人へ届いたら本望だ.
根源的には医療が進歩して、どんな病気でも絶対治って、皆が老衰する世界が理想だけれど
それを実現させる力や時間は私にはないし、研究の道へ進むにはセンスを感じられなかった.
だからせめて、医療行為をしていない時の生活だけでも救えないかと思う.
・・・
白血病と強く戦う彼には生き延びて欲しい.
新入社員のうちに
最近ひたすら偉い人のお話を聞き続けているのだが、彼・彼女らは最後に必ず新入社員の私達へメッセージをくれる.
今までのメッセージの共通項をまとめておこうと思う.
1 挑戦し続けて欲しい. 挑戦したことの結果である失敗をたくさん経験してほしい.
2 若いうちに苦労した方がいい
3 アンテナを張って色んなものに興味を持ち続けて欲しい
4 目標を決め、その目標とのズレを確認してギャップを埋められるよう努力してほしい
こんなところだ.
1 3 4については本当に全員言っていたのではないだろうかというほど言われた. 耳タコである.
ただやっぱりちゃんと働いてない身分である以上、理想論は分かった、という感じでいまいち現実味がない. 自分の会社のダメなところである. 偉い人の講話や過去の自慢話が多い.
そんなの飲み会とかでも聞ける話なのであって、早く職場について働いて、その人たちの凄さを痛感して色んなことに挑戦したいのに研修はまだまだ続く.
線路のように続く...
自分たちは変わらなければいけない、スピード感が圧倒的に足りてないと分析出来てるのに、一向に研修内容や期間が変わらない、アンケートに率直な意見をぶつけてるのに変わらない、そういうところがダメダメだ.
リベラルアーツ
今週に入ってからは
工場での(過酷な)研修が終わり、また普通の(?)研修をしている.
フリースペースのようなところで、私が所属する部門のお偉いさんとお話をする機会があったのだが、その時の自由質問で「新入社員の時にやっておけば良かったと思うことはありますか?」と同期が質問した.
お偉いさんの答えは「リベラルアーツをきちんと学んでおけば良かった」だった.
私は横文字苦手なジャパニーズなので、分かったふうな顔をして、あ〜なるほど〜と聞いていた. 文脈的に、教養とかを意味するのだろうとは思ったが、定義やらなんやら全然分からなかったので家に帰ってから調べてみた(私えらいぞ!)
リベラルアーツとは、人が知ってるべきとされる知識の基礎のことで、具体的には文法学、修辞学(弁論術みたいなもの)、論理学、算術、幾何学、天文学、音楽を指すらしい.
ふーん.
ただ、このリベラルアーツをさらに深堀していくと、リベラルアーツを習得した人というのは自ら問いを立てられることになるのだそうだ.
幅広く色んな事象に対して、なぜ?の気持ちを忘れずに考え続ける、みたいな.
ただ、これって難しいよなって思う.
幅広く見てるつもりでも、自分の興味があることしかみれてないだろうし、、、なぜを突き詰めても答えが分からなかったり漠然としてきたら問い詰めるの嫌になったりしちゃうだろうし.
とりあえず、まずは習慣として、新しいことを聞いたら1回は、なぜ?と問い直すことにしようと思った.