はりぼー
このブログのアイコン写真はピンクの毛布に包まれたハリネズミである.
私は、はりぼーという名前のハリネズミを2年と少しの間飼っていた. そう、アイコン写真のハリネズミは、はりぼーだ.
"飼っていた"という言葉から察してもらえるとは思うが、はりぼーはもうこの世にはいない.
昨日、はりぼーのお墓参りをしてきた.
今回は、はりぼーとの思い出を振り返ろうと思う.
はりぼーは生まれてからすぐ子持ちバツイチギャルの家庭に貰われた.しかし半年弱でギャルはヘビースモーカーの男と再婚し、はりぼーの世話が面倒になり、掲示板で貰い手を募った.
たまたま近くに住んでいて、掲示板を見かけた私が初めてはりぼーに出会った時、はりぼーは人間をとても怖がっていた.
貰い手が見つかって良かった〜よろしくね〜
なんて軽いノリではりぼーを渡された.
下宿先に到着し、買いたてほやほやのゲージにはりぼーを入れると、すぐにタオルの下に潜り込み、震えながら自分の体を掻きまくっていた.
あまりに掻きまくっているので不思議に思い、ネットで調べると、ダニの疑惑が. 急いで病院を探し、検査するとやはりダニだらけだった.
動物病院の先生曰く、随分前からダニにやられていて皮膚がボロボロになっているとのこと. 何回か病院に通い、注射をしてもらって治療した.
でも最初のトラウマというのは中々消えないもので、どんだけ毎日エサをあげても、スキンシップを試みても、最後の1日まではりぼーが心を許してくれることはなかった.
いつもフシューッっと威嚇の声を出すと共に、針を全力で立てて触らせて貰えなかった.笑
小さい頃、人間に酷いことされたんだから、私もその仲間と思われて当然だ.
はりぼーがいなくなる前の日
ゲージから出して部屋の中を歩かせると、はりぼーはいつもと違ってヨロヨロ歩いていた. よく観察してみると、左足が動いていなかった.
そこで、はりぼーの左足を助ける形で手伝おうとしたら、嫌がることなく私を受け入れてくれた. もう足の感覚が無かったからかもしれないがそれが私にとっては凄く嬉しかった.
はりぼー、明日も一緒にたくさん歩こうね、なんて声をかけて毛布丸ごとハグしたりしてた.
でも同時に、心の奥底では、はりぼーの最期が近付いているのかもしれないというザワつきがあった.
そしてその次の日
いつも通りエサ入れを埋めても、はりぼーがエサを食べに布団から出てくることはなかった.
自分が思っていたよりもずっと、私ははりぼーを心の支えにしていたし沢山癒しをもらっていた. 動かなくなったはりぼーを目の前に、目から涙が溢れて止まらなかった.
はりぼーのお葬式を終えた夜、もう誰も居ないはずのゲージからガサガサっとまるではりぼーがいるかのような音が聞こえた.(ハリネズミは夜行性なので夜になるとガサガサ動き回る習性がある)
信じてもらえないかもしれないが本当に音がしたのだ.
最後に逢いに来てくれたのかもしれない.
はりぼーには、とても感謝している.
天国というのがあるのかは分からないが、命ある限り、私ははりぼーのことをずっと忘れない.
写真は上から、ウチに来たばかりで緊張している様子、頭隠して尻隠さずな様子、さよならする3日前くらいの様子.
陰キャ陽キャ
私は自分のことを、陰キャに極めて近い陽キャだなと思う.もっと正確に言うなら、陽キャのフリした陰キャだ.
私と同じ配属部門になった同期は男女ともに皆キラキラしていて真の陽キャが多い.(もちろん全員ではないし同じ大学出身の子はこちら側の人間だ)
みるからに今までのスクールカースト上位で輝いてきたんだろうなというオーラが出ている.
私はというと、保育園〜小学校低学年まで病弱で入院してたのもあり、院内学級に通ったり体育の授業免除されたりしてたうえ
見た目も(薬の副作用で)デブ、早口、異常に声が高いの3つが揃っていたので小学校デビューを失敗していた.
男子からのバイ菌扱い、デブ呼ばわりは割と普通だったし、女の子の友達も2人しかいなかった.
その辺のアリやダンゴムシをひたすら眺めて話しかけたり、風と会話したり、アリ潰しする奴らに対して涙ながら「なんでそんな酷いことするの」と怒ったり...我ながら変なやつだった.
でも私は部活で人間関係に失敗したり色々本音でぶつかって学んでいき、高校の頃には友達も割と作れるようになっていったし
見た目も改善されたので
今ではそこまでコミュ障キャラにはなっていない(と信じたい).
だから陽キャのフリした陰キャなのだ.
割と陽キャ感が出せるよう頑張ってきた.
真の陽キャというのはざっくり言えば
・適切なタイミングでの笑顔
・空気を読む力
(適切なタイミングで適切なポジションにいれる&適切な発言ができる)
・気配り
が自然に出来る人達だと思っている.
この、適切な、を探すのが難しいし
コミュニティによって正解が違うというのもまた難儀である.
とりあえず、人の印象は見た目が9割(視覚情報が頭に入ってきやすい)らしいので、周りを見習って見た目にも気を使いつつ
陽キャ度を高めるため「適切」探しを続けようと思う.
パラダイスではなくパラダイム
パラダイムシフトって言葉の響きかっこいいよね. 地動説の話が良い例で、人々が当たり前だと思ってる価値観がガラッと変わることをパラダイムシフトっていうみたい.パラダイムは、自分の中での当たり前、ものの見方みたいなものらしい.
これは社会人にとって有用な価値観のようで、会議だったりコミュニケーションをとったりする時に、お互いのパラダイムがズレてると円滑に進めることが出来ないから
一旦自分のパラダイムと事実とを分離させて、相手と事実の共有をしよう、てね.
事実は、どんな人でも当てはまる世界不変の事象.
例えば
食べると皆が最強になれる晩ご飯を決める
という会議があったとする.
疲れを取れるものがいい、美味しいものがいい、オムライスがいい...etc
疲れというのはどんな人でも多かれ少なかれ生じるし、疲労回復の仕組みは人間みな同じだ.
だから疲れを取れるものがいい、というのは事実.
美味しいものがいい、これはどうだろうか.
美味しいと感じる仕組みは確かに皆同じだけれど、そもそも何を美味しいとするかは個人で異なる. だからパラダイムが生じうる.
オムライスがいい、これは言及するまでもない、私の個人的な意見だ.
前の研修で、チームワークには共通認識が大切だってことを痛感し、改善したいけどその方法が漠然としてた.
なるべく相手の気持ちにたって考える、受信も発信も常に出来るよう意識する、とかとか.
具体的なものとして、主語と述語を明確にするというのは方法論として有益だと思った.でも、それをしたところで色んな人と共通認識が確実にできるかと言われると疑問が残って、モヤッとしていた.
少しこの共通認識達成の糸口が見えた気がする.
今日も研修がんばるぞい.
根と葉っぱ
木、というのは根の部分と葉の部分それぞれの容量が同じになっているらしい.すなわち土から上の部分と、土から下の部分が同じ容量らしいのだ.
その木を社会人に例え
土から下の根っこの部分がその人の思考やマインド、土から上の葉の部分が仕事に必要なスキルや能力とする.
うちの会社では、葉の部分ばかり育てて根がヒョロヒョロなことによって倒木状態になってる人が少なからずいるらしい.
だから、新卒の皆さんは仕事を成功させるために必要なマインドを勉強して、根も葉もある人になりましょう、と.
だが社会人経験をしたことのない新卒の私から言わせてもらうと、あまりに研修で長い間こういう精神論をやりすぎていて、根ばっかりの葉なし人間しか出来ないのではと思ってしまう.
落雷にあった後に根っこだけ辛うじて残った木、みたいな.
最初に1週間くらいマナーとか社会人としての基本精神を学んだ後は
実際に現場に入って、研修生という免罪符を使ってたくさん失敗して自分の至らないところに気付いて直して、を繰り返す方が早く成長出来るんじゃないんか?と思ってしまう.
そして現場に出て困った時に学べる研修等の環境を提供しておく、または現場→研修→現場のサイクルを用意しておくくらいでいいのでは.
その方が、根も葉も同じくらいの容量で育つ気がする.
とにかくひたすら座学メインの研修をする時間が長すぎる. まあ高校の延長みたいな気持ちで講義受けてレポート書くだけで給料もらえるのはありがたいのかもしれんけど.
ベンチャーに行った友達に話を聞いていて少し危機感をおぼえてしまったのである.
と、嘆いても何も変わらないので
とりあえずは沢山教えて頂ける精神論を忘れないようインプットし続けることとする.
ふぅ...
お金
先日の研修で経理や財務についての話があった.
私は経理配属予定でもなければ財務予定でもない.それでもお金の話を聞いた.
たしかにお金というものは全員に関わるものだし、知っていても損は無い.
私の母は、とある企業で20年以上本社の経理をやった後、簿記一級を取って今は違う会社で経理をはじめとする様々な業務をしているため、お金に関する勉強を絶対した方がいい、社会生活に役立つとオススメされてきていた.
私の母は、お金オタクだ.
電卓を打ちながら悩む母は、悩んでいるはずなのにとても楽しそうなのである. そして説明してくる時はちょっと早口になる.
だが、私は母のようにはなれない!無理!と食わず嫌いをし、お金の話から逃げてきてしまっていた.
お金のことだけ考えるなんて嫌だ!もっと働く目的、やり甲斐を感じるところがあるもん!なんて屁理屈を並べながら.
でも研修でお金のことを習ったことによって、自分の会社の経営のダメなところを知ることが出来た. そして自分の知識の浅さや視野の狭さを再認識した.
もっとこういう知識を持って就活していたら他の会社も選択肢に入ってたのかもしれない.
まあ後悔しても仕方ないし
それも全て含めて運命ということでこの会社でしばらくは頑張るしかないのだけど.
結論、人からオススメされたら食わず嫌いせずにやってみるのがやはり大切だなと思いました!以上!
ユーフォニアム
昨日、劇場版響け!ユーフォニアムを観てきた.
これは北宇治高校吹奏楽部の2年生でユーフォニアム担当である黄前久美子を中心とし、夏のコンクールに向けて切磋琢磨する吹奏楽部の青春が描かれた作品である.
元々久美子が1年生の時のお話として、アニメが2期分放送されており、劇場版はその続きのお話だった.
いわゆる、原石は持っているけど磨かれる機会がなくてド底辺にいた部活に最強顧問がやってきて圧倒的成長をする、というスポ根みたいな王道ストーリーなのだが
人間関係や個々のキャラの描き方がとても上手く、そしてとてもリアルで、感情移入せずにはいられない.
ラブライブ!で例えるなら、一般的なスポ根がラブライブ!無印、響け!ユーフォニアムはラブライブ!サンシャイン!!に近い(※分からない人すみません)
私は中高6年間吹奏楽部だったので(決して中高一貫校に通っていた訳では無い)、作品を見ている間共感の嵐が巻き起こり、過去の記憶がフラッシュバックして涙不可避だった.
通称体育会系文化部の吹奏楽部、とりわけ中学校の吹奏楽部は、往々にして上下関係が非常に厳しい.
ただ夏のコンクールで優秀な賞を目指す、となるとその上下関係を無視し楽器の実力だけでコンクールメンバーを決める必要がある.
コンクールでは一般的に、課題曲と自由曲の2曲を演奏することになっており、課題曲は指定された4-5曲から選ぶのだが、自由曲はその名の通り完全に自由だ. 制限時間さえ守れば問題ない. アレンジも自由だ.
自由曲に選ばれる吹奏楽曲の多くは、ソロと呼ばれる1人だけでメロディーを演奏する部分があり、原則、部の中で上手い人が吹くことになる.
(ちなみにユーフォニアムをはじめとする低音楽器というのは中々焦点が当たりにくい楽器で、あまりソロパートを任される楽曲がない)
このコンクールメンバー問題、ソロパート問題は部の中で割と深刻な問題である.
私の場合は
当時中3の先輩に「なんで2年のあんたが私らの最後のコンクールでソロ吹くの」と悔し涙を流されつつも中2でソロを吹いた経験がある.
とにかく頑張らなきゃ、そう思って限界まで自分を追い詰めて練習しまくった.
そんだけ練習しても、本番当日は緊張しすぎて膝が笑ってた. ソロの時の記憶はもはや無いけれど、うまく演奏出来た.
しかし、その年のコンクールは最終的に銀賞だった.
メンバー間の仲の悪さが練習環境に影響を及ぼした結果だろうか.
とにかく個人の努力が報われなかったのが悔しくて悔しくて仕方なかった.
結果発表のあと、3年生の顔をまともに見ることが出来なかった.
全力で本音ぶつけて、憎みあって、それでも共通の目的のために全員でひとつになる青春. 当時は苦しいことも多かったけれど、今振り返ると本当にいい経験をしたなと思う.
出来るなら過去に戻りたい.
でもそれは不可能だから、その経験を活かして今の私が頑張るしかない.
今を最高にして生きていきたいな.
わるぐち
人と仲良くなるための方法にはいくつかあると思うが、常套手段のひとつに悪口を言うことで結託して仲良くなるというのがある.
私自身は、小中学生の頃に悪口を言われて傷ついたことがあるというのに、社会人1年生の私は悪口を友達に言うことに快感をおぼえている.我ながら性格が悪いと思っている.
でもやめられない.何故だろうか.
悪口には魔力があるからか.
アルコールとかタバコに似たような中毒性がある気がする.
私はアル中ならぬ悪中だ.世の中的にみたらアル中より悪中の人の方が多いよね、たぶん.
まあそんなことはさておき.
私なりの結論としては、人は悪口を言い、それに共感してもらうことで、仲の良い人はその悪口を言ってる嫌いな人とは違うということを確認し、安心したいのかなと思った.
また自分は正しいということを確かめたいのもあるのかもしれない.
最初の研修で仲良くなった人達と土曜にたくさん悪口や馬鹿な話をして仲を深めることが出来たので、また月曜日からも研修頑張ろう.